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私が北京堂鍼灸松江に来るまでの経緯

はじめまして。島根県松江市にある老舗鍼灸院、『北京堂鍼灸松江』の松本です。

平成31年4月より前任の野津先生と交代して施術を担当しております。鍼治療に関することや、その他諸々についてブログスペースに書いていきます。

そもそも何故鍼灸師になったのかについては後日、自己紹介のページに記載しようかと思っています。今回は関東での生活から島根県に来ることになった経緯について書きます。

来院されていらっしゃる方々に、なぜ島根に来ることになったのかと質問されることがよくあるので、この記事をまず書いてみようと思いました。

島根に来る前は綾瀬で施術をしていた

松江に来る前は、東京都葛飾区綾瀬にある北京堂鍼灸本店で、師匠の定休日の日曜日に施術を行っていました。また同じく東京都の赤羽にある北京堂鍼灸赤羽でも立ち上げから一年間、週に2回施術を行っていました。そのほか、川崎市内で訪問鍼灸マッサージも行っていました。

春には開業すると師匠の浅野周先生に宣言していましたので、年明けごろからはインターネットで物件を探したり、開業する地域について考えていました。

師匠から島根行きの依頼を受ける

今年の2月の終わり頃、いつものように綾瀬で施術をしていると、唐突に浅野先生が、あなたちょっと島根に行ってくれませんか?と言いました。詳しく聞いてみると当時北京堂松江で施術を行っていた先生が転居されるとのことで、松江で施術する人がいなくなってしまうらしい。そこで現在綾瀬の治療院に来ている見学者を松江に送りたいが、まだ独り立ちするのには早いとのことで、その見学者が鍼を打てるようになるまで、一か月か二か月だけ私に松江に行ってほしいとのこと。

ちょうど春には開業しようと考えていましたが、まだ物件も決まっていない段階でしたので、断る理由もなく松江行きを了承しました。しかし、一か月や二か月だけで帰ってくるのは面倒なので、もう少し長い期間行かせてもらうことになりました。

他の北京堂の治療院は弟子の一人が師匠から治療院を譲り受けたら、ずっとそこで営業し続けるスタイルが多いようですが、松江の北京堂は弟子の一人が松江に送り込まれ、少し経つと地元か別の場所で開業するというパターンが続いているようです。

東京と島根の患者の違い

伝統ある北京堂の治療院で院長として施術を行えるということは、本当にラッキーでタイミングがよかったです。師匠によると松江の患者さんは効かない治療をすると、効かないとハッキリ言うから良い勉強になるそうです。都会の患者は効かなければ、それでもう来なくなるだけだから、効いたのか効かないかすらわからないと。都内には無数に鍼灸院や整体などがありますから、点々と施術所巡りをして自分の体に合った治療院を見つける人が多いようです。

確かに綾瀬でお会いしてた患者さんたちも様々な治療院を転々として、ようやくたどり着いたのが北京堂だったという方が、何人もいました。都会は重症患者が多くてなかなか治らないから、本当はぎっくり腰みたいな簡単に治る疾患をやりたいと浅野先生がおっしゃっていたのが印象に残っています。

一か月で以前の仕事の引継ぎ

それから松江に引っ越すまでの一か月はとても忙しい日々でした。北京堂本店での引継ぎや刺鍼の指導、川崎の訪問鍼灸マッサージの引継ぎなどがあり、休む暇なくあっという間に一か月が過ぎてしまいました。

この記事を書いているのが5月なので、松江に来ることが決まってから約2か月で、松江に来てからは一か月ほどになります。

忙しく過ごしていると時がたつのは早いです。訪問鍼灸マッサージでお会いしていた、80代、90代の方々が、ついこないだまで自分が若者だったに、あっという間に年寄りになってしまったと、口をそろえて言っていたことを思い出します。

多くの方が涙を流して見送ってくれて、松江に来たら知っている人が一人もいなくなるから寂しくなるだろうと心配していましたが、振り返ってみると寂しがる暇がない程度には日々充実した生活を送ることができています。

以上、私が松江に来ることになった経緯でした。

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